石垣観光大使:具志堅用高

WBA世界ライトフライ級のチャンピンで、実に13回もの防衛を達成した人物です。現在はその大らかな人柄と、天然な発言を活かし、タレントとして活躍しています。

プロフィール

1955年6月26日生まれ。旧琉球王国の士族の家系である具志堅親雲上用易を元祖とする允氏具志堅家の系譜であり、名乗り頭に「用」の字を用いています。地元の中学校を卒業し、沖縄本島に渡って興南高等学校に入学します。別の高校も受験しましたが、試験用紙に名前を書き忘れてしまい、落とされたのだそうです。高校時代には野球部を志望していましたが、身長が足りないために入部を断られ、ボクシング部に入ることに。ひょんなことからボクシングを始めるに至った具志堅でしたが、上原康恒の実父である上原勝次や金城真吉、仲井真重次などの指導を受け、天性の素質が開花します。3年次にはインターハイ・モスキート級で見事優勝を果たします。高校卒業後には上京して協栄ジムに入門します。拓殖大学商学部の体育推薦入試に合格していたのですが、入学を辞退しての入門でした。上京後は、後援者から沖縄県との習慣の違いなどの生活面を気遣われ、剣道家の卯木照邦を紹介してもらい、そこで下宿していました。生活は楽ではなく、5回目の世界王座防衛戦までとんかつ屋でアルバイトをしていたのだそうです。ボクサー時代のニックネームは「カンムリワシ」。生来のサウスポーで、ボクシングスタイルはファイタータイプでした。トレードマークは独特のアフロヘアーと口髭で、これはチャンピオンを目指し始めた時に、世界に出ても気後れせずにしたいという思いから当時の中南米の選手がかっこ良くひげを生やしていたのを真似したのだそうです。入場テーマ曲はメイナード・ファーガソンの「Conquistador」。キャッチフレーズは「100年に1人の天才」でした。

プロデビューから世界王者へ

1974年5月28日、牧公一戦でプロでニューを果たします。デビュー戦から負けなしの8連勝を飾り、9戦目には世界王座挑戦のチャンスを得ました。1976年10月10日、山梨県甲府市の山梨学院大学体育館にて“リトル・フォアマン”の異名を持つWBA世界ライトフライ級王者ファン・ホセ・グスマンに挑戦します。挑戦者・具志堅が開始当初から軽快に動き回り、2回、4回にダウンを奪います。7回に3度目のダウンを奪ったところでKO勝ちとなり、沖縄県出身者初の世界王者となりました。試合後「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」と話したことから「カンムリワシ」の異名が付けられました。この9戦目での世界王座奪取は当時の国内最短記録でした。

13度の世界王座防衛

具志堅の快進撃は続き、デビュー以来負けなしで7度目の防衛戦に挑みます。1979年1月7日、神奈川県川崎市体育館にて2度目の防衛戦でも対戦したリゴベルト・マルカノを7回にKO。7度目の防衛に成功します。これは当時の日本人世界王者の最多防衛回数を更新する快挙でした。1979年4月8日、東京・蔵前国技館にて元WBA世界フライ級王者であるアルフォンソ・ロペスと対戦します。ロペスも7回KOに降し、8度目の防衛に成功しました。これで1977年10月の3度目の防衛戦から6連続のKO防衛となりました。この「世界王座6連続KO防衛」は日本人世界王者ではいまだに具志堅しか達成していません。その後も順調に防衛戦を勝ち進み、1980年6月1日、高知県民体育館にてマルチン・バルガスを8回KOに降し、12度目の防衛も成功します。これは当時のジュニアフライ級世界王座防衛回数世界新記録でした。その後、10月12日には石川県金沢市実践倫理会館に於いてペドロ・フローレスを苦戦しながらも15回判定に降し、13度目の防衛を達成しました。世界王座防衛13回は日本人世界王者の最多記録で、2013年現在も破られていません。

14度目の防衛戦と引退

1981年3月8日、地元沖縄県での凱旋試合として具志川市(現在のうるま市)の具志川私立総合体育館にて14度目の防衛戦が開催されました。相手は前回の防衛戦で対戦したペドロ・フローレス。この日は回が進むにつれ、挑戦者のプレッシャーをかわし切れなくなっていく様子が分かり、8回には最初のダウンを奪われてしまいます。迎えた12回、挑戦者の右ストレートをまともに浴びて2度目のダウン。辛くも立ち上がり試合続行に応じますが、フローレスの追撃に襲われてしまいます。ここでセコンドからタオルが投げ込まれ、世界王座陥落となりました。この試合を最後に具志堅はボクサーを引退。本人が語ったところによると、最初調子は悪くなかったのですが、序盤でパンチが目に入り、目がよく見えなくなってしまい、そのあとは記憶がなく、ダウンしたことも翌日の報道で知ったのだそうです。その後、再戦の話しが出ますが、網膜剥離寸前と診断され1ヶ月の通院を余儀なくされます。元のようには戦えないと思い、新婚の妻とも話し合って引退を決めました。

タレントとして

引退後は解説者として活躍する一方、芸能界でのタレント活動にも参加します。1994年には日本人初のボクシング世界王者でもある白井義男と共同で「白井・具志堅スポーツジム」を開設します。現在は同ジムの会長として後進育成に力を入れ、元日本スーパーフライ級王者の名護明彦、元OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者の嘉陽宗嗣など、後進の育成に励んでいます。2010年4月からは太田プロダクションと契約を結び、本格的にタレント活動を開始します。同年6月に「クイズ!ヘキサゴンⅡ」に出演すると、そのマイペースなキャラクターと珍回答で注目されてそのまま準レギュラーとなりました。「ヘキサゴンⅡ」が終了した現在も数々のバラエティ番組に出演し、「ちょっちゅね」など陽気なイメージの、独特なキャラクターで多大な人気を集めています。

出演

映画

  • 2003年「Summer Nude」

テレビドラマ

  • 1983年「女たちの大坂城」
  • 2001年「ちゅらさん」・・・石嶺高役
  • 2012年「琉神マブヤー1972レジェンド」・・・本人役
  • 2013年「SPEC~零~」・・・ボクサー役

テレビアニメ

  • 2011年「へうげもの」・・・加藤清正役

バラエティ

  • 2011年「run for money 逃走中」
  • 2013年「くりぃむクイズ ミラクル9」
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